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『届かない熱』を抱えた体は、酷く重くて、時に息を吸う生命活動すら億劫になる。
仕事を終えて、報告に行かなければいけないのは分かっているのに、粘ついた重力に押し負けて寝台に倒れた。
自室に戻って感じるのは、安らぎではなく虚無感。
降参を表すように手足を投げだし、ぼそりと呟く。
「あー、だるい」
世界の理から外れたこの体は、めったに疲労を感じることがない。
だからつい口から漏れた言葉を聞いて、一人苦笑してしまった。
「……あいつ、今日もセラの部屋にいるのかな」
報告に向かうべき場所には、上司の他に、焦がれてやまない存在もいる。
その『彼女』に会えるのは嬉しい。だけど行けば、否応なしに嫌な光景――
彼女が自分以外の男と幸せになった現実を目にしなければならない。
「……だるい」
もう一度呟く。
「だるい」のは、体ではなく、心のほうなのだ。
「お前が幸せなら、それでいい」――かつての自分が放った言葉は、時間の経過と共に心に重くのしかかった。
最近では理性で割り切ろうとしているのに、どうにも本心がついてこなくて四苦八苦している状態。
まあもっとも、そんな内心を抱えているなんて彼女は知らないだろうが。
「……俺らしくない」
愛くるしいと評される容姿と、生来の愛嬌の良さを利用して、徐々に獲物との距離を詰める。それが通用しない場合は、強引に。――らしい、とされる常のやり方で奪えなくなったのは、いつ頃だっただろう。
ぼんやりと天蓋の内側を眺めていたら、廊下のほうから音が聞こえた。
寝ながら野生動物さながらに耳を澄まし、音の正体を確かめる。
控えめで、美しい音。……『彼女』の足音だ。
「ロウ? 帰ってるかな?」
足音と同じく控えめなノック音が響く。
遅れて聞こえてきた声を鼓膜が捕らえると、掌がうっすらと汗ばんだ。
一気に体温が上昇し、真夏に水を欲するように体中がざわめく。
それらを宥め、何でもない風を装って返事をした。
「いるよ」
扉の向こうで、ほっと息を吐いた気配がして苦笑する。
ダイオスでの大仕事の日から、彼女はしきりに心配をするようになった。
「もう無茶はしちゃ駄目だよ」「何時に帰ってくるの?」等々、出かける度に聞いてくる。 距離を詰めて、瞳を覗き込んで、返答を待つ―― 一連の動作が、どれほど劣情を煽り立てているか知りもせず。
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明るい笑みの裏側に、これほどの欲が渦巻いていると知ったら、彼女はなんと言うだろうか。
全てをぶち撒けたい衝動に駆られる一方で、それは自分の凶悪な願望が、
成就される時だろうという予感もあった。
そんな猛獣がいるとも知らず、警戒心皆無の声が尋ねてくる。
「入ってもいい?」
「……ああ、いいよ」
「疲れている時に、ごめんね」
部屋に入ってきた彼女を手で招き、寝台の端に座らせる。
普通ならば気安くは腰掛けられない場所だろうが、何度も繰り返し要求する内に、近頃では慣れてきた様子だった。
そう、時間をかけて、無邪気な声で、何度も強請った成果だ。
それなのに『奴』は……
「いいよ。セラがせっついてるんだろ」
奴は……セラは、腰かける以上のことをさせているのだろう。
想像するだけで胸中の靄が重みを増す。
泥ついた内心が滲み出てしまう前に、笑顔の仮面を張り付けた。
「行くから、その前にお前からのご褒美が欲しいなー」
「あ、お菓子なら厨房に用意してあ……」
言葉が終わる前に手を伸ばし、細い腕を引っ張る。
それだけであっけなく倒れた体は、羽のように軽かった。
驚きで短い悲鳴を上げた彼女を、腕の中に抱き込んで笑う。
「ははっ、やっぱりお前って抱き心地がいいよなー。
毎晩こうして眠れたらいいのに」
「もう……」
今までに幾度も抱きついてきたからか、かなり危険な状態であるにも関わらず、
彼女は苦笑するだけだった。
間違いなく感覚が麻痺している。
自分を抱きしめているのが『男の子』ではなく『男だ』と認識していたら、まずこうはいかないだろう。
「やっぱり積み重ねは大事だよなぁ」なんて、ちょっとした成果に嬉しくなった。
頭頂部に唇を寄せ、幸せ気分に浸る。
「ねえ、ロウ」
「んー?」
「最近……何か、嫌なことでもあったの?」
「なんで? 今超幸せだけど」
言いつつ、内心では身構える。
おっとりとした性格で紛れがちだが、彼女は妙なところで鋭いのだ。
まさか「お前のことで滅入っていました」なんて口が裂けても言えない。
だから、また笑って誤魔化そうとした時、
「セラ様も心配してるし……」
可愛らしい口から出た名前で、笑みが凍った。
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