越えざるは紅い花

スペシャルコンテンツ

◆ラジオドラマ『越えて越えて紅い花!』(全3回)

ウルとエスタがパーソナリティを努める全三回のラジオ(キャラクター紹介ドラマ)
ナスラのみんなからのお便りを募集したら、PN国王さんやPN文鎮さんからのお悩みが……!?

◆スペシャル配信ドラマ

新たにルート追加となったエスタによる、甘く切ない物語

◆発売記念スペシャルショートストーリー

新たにルート追加となったウルのルートの視点から見た、時を超えた師弟のお話。

『開戦前夜~弟子は問う~:ウル視点』著・松竹梅

「ウル様、こちらの件はいかがいたしますか」
「ああ、これはわたくしが話をつけますので、執務室に運んでおいてください」
 書類に強い日差しが反射して目に刺さる。
 わたくしは秘書に指示を出しながら、半分ほど瞼を落とした。その瞬間、ふいに眩暈をおぼえて眉間に力が入る。あやうく陛下の花壇へと倒れこんでしまうところだった。
 陛下はわたくしが花壇を荒らしても笑い飛ばしてくださるだろうが、尊い御方が手塩にかけて育てた花をつぶしたら、わたくしが平常心ではいられない。
(本当に、ここの花壇は十年経っても美しい)
 そう思った後で「ああ、もう十年か」と感慨深くなる。
 わたくしが師――ノール様の傍らで政に関わるようになってから、既にそれだけの月日が流れているのだ。
「大丈夫ですか、ウル様」
「ええ。少し眩しかっただけです」
 議会を明日に控えている今は、悠長に休んでいる暇はない。それにノール様であれば、たかが三日の徹夜ごときと、涼しい顔で過ごしていらっしゃっただろう。そんなあの方のお耳に、わたくしの情けない噂話は入れたくない。
 意地でも止まるまいと眉間に皴を寄せたまま歩いていると、思わぬ方向から呼びかけられた。
「そのような厳しいお顔をされていらっしゃると、かつての政務補佐さまを思い出しますな」
 柱の影から現れた男が、豚を彷彿とさせる巨体を揺らしながら近づいてくる。出っ張った腹をたぷたぷと波打たせて笑う様に眉をひそめそうになり、既のところでこらえた。
 公の場で内心の恨みを顔に出していいのは子供の内だけだ。もっとも、元侍従であったわたくしの場合は、それすらも許されなかったのだけれど。
「こんにちは、ザムダ様」
 ザムダ様は、十二人いる大臣の内の一人だ。大臣の役職にふさわしい働きをしているかは甚だ疑問だが、上位の貴族であるのは間違いない。従って、わたくしの立場上、一応の対応をする必要がある。
「我が師と同じとは、光栄です」
 嫌味に反応しなかったのが面白くなかったのか、ザムダ大臣は鼻を鳴らしていやらしい笑みを浮かべた。
「本当に、似ていらっしゃる。貴族にとって不利益となる法案を通そうとするところは、特に。稀有な才能を持つ『月光樹の御方』には、我ら凡庸な貴族の気持ちなどご想像もできないのでしょうな」
(ザムダ様は相変わらず何も見ようとなさらないのだな。才能だけでこの地位を許すほど、ノール様は甘くはないというのに)
 なぜ努力をしない者ほど、上辺の結果だけを見るのか。嫌味を言っている暇があったら働けばいいのに。――そう内心で毒づきながら、うふふと微笑んだ。ノール様の弟子になったばかりの頃ならば、憤然と立ち向かっていっただろうが、あいにく今のわたくしは考えなしに行動するほど愚かではない。
 崩れない笑顔は、我が師より譲り受けた大事なものの一つだ。
「わたくしには才などございません。もし人に誇れるような才があれば、ザムダ大臣も安心してわたくしにお仕事を任せてくださったのにと……、我が身のいたらなさに不甲斐なくなるばかりです」
「はて、仕事とは?」
「え? お仕事の内で明かせない部分があるのは、未熟なわたくしを気遣ってくださってのことでしょう?」
 暗にザムダ大臣が裏で行っている不正を指摘すると、脂ぎった額に汗が滲んだ。尻尾を掴まれそうだとは思っていなかったのだろう。
「そ、そういえばご報告を失念していた部分があったかもしれませんな。急ぎ家に戻り、調査をしなおしましょう」
「わたくしは急いでおりませんので、お気をつけてお帰りください」
 わたくしが笑みを深めると、ザムダ大臣は青い顔をして足早に去っていった。……まったく、昔からわかりやすい男だ。
 溜息をついて歩きだせば、柱の一本にはめられた石版が目に入った。
 これは我が国の法律を記したものだ。ノール様の命で一番新しい法律が刻まれたのが最後だから、既に十年以上は放置に近い状態になっている。
 ザムダ様のような貴族の存在も、石版も、悔しいことに変えられていない。
「……ノール様。あの男を排除せずにいるのは、わたくしを信用してのことですか?」
 信用云々と問いかけたのは、今から十年以上前のことになる。半ば文句のようなものだったから、ノール様は憶えていらっしゃらないだろう。
 いつか区切りがついたら、もう一度真意を聞いてみたいと思っている。
「早くここに新法を刻み、あの時の問いの答えを聞きたいものです」
 そのための、明日の議会だ。決意を新たにすると、緊張のためか胃のあたりが痛くなった。ノール様と違い、内面まで鋼鉄製にできなかったのが悔やまれる。
 ほぼ無意識にみぞおちのあたりをさすっていたら、背後からくすりと笑う声が聞こえた。
「お前も緊張しているのか?」
 同じ心境なのだと言う声は、けれど微塵も緊張を感じさせなかった。
 苦笑して振り返ると、ざあっと一陣の風が吹いて緋色の髪がたなびく。その斜め後ろでは、国一番と名高い薬師のルジ殿がいた。
「陛下、ルジ殿……。あはは、お恥ずかしい限りです」
「恥じる必要などない。先ほども言った通り、俺たちも緊張している。なあ、ルジ」
「ええ。あの法案が通れば、新薬の研究も進みそうですからね」
 うんうんと頷いた陛下は、なぜか次の瞬間には暗い表情になった。石柱に手をつき、この世の終わりだとでもいうように肩を落とした。
「それに明日の議会が終われば、ノールが用意したお見合い大会が待ち受けている……。俺たちはあれを乗り越えねばならないのだ」
 ノール様主催の他国との交流会――という名のお見合い大会は、多忙な時期だというのに、明日の夜に開かれることになっている。わたくしの推測だと、恐らくは陛下に逃げられないようにするためだろう。
 見ればルジ殿も、現実逃避をするように遠い目をしていた。
 この場にいらっしゃらないスレン様も、今は同じ目をしているに違いない。
 重要人物たちが独身のままなのは、国の未来を考えれば確かに問題だけれど、彼らの気持ちを考えると同情的な気分になる。わたくしもあの運命の瞬間まで、結婚しようなどとは露ほども思っていなかったのだから。
「嫌味ではなく、ウルが羨ましい。恋は作るものではなく、落ちるものだと思わないか」
 一国の王としては甘い話だが、半分は冗談も入っているのだろう。だからわたくしも、少し軽い調子で返した。
「そうですね。それに追われるよりも追うほうが面白い」
 わたくしの言葉に顔をあげたルジ殿が、意外だというふうに目を瞠った。
「随分と変わられましたね」
「ふふ。なにごとも、変わらざるを得ない時が来るのです。時代も人も……」
 遠くの空に浮かぶ灰色の雲を見据える。
 あの先に待ち受けるのは闇か光か――全ては明日、わかるだろう。


*********

『開戦~師は笑う~:ノール視点』著・松竹梅

 時代も人も変わらざるを得ない。――そう弟子が呟くことになる十年前ほどのことだ。

「ですからノール様、わたくしは……。あの、ノール様? 聞いていらっしゃいますか、ノール様」
 瞬く星々を窓際で眺めていた私は、しつこく名を呼ばれて溜息をついた。
 どんな些細なことでも生真面目に報告してくるウル――私の弟子の性質を好ましく思っているが、真面目すぎて融通がきかない時がある。
 エスタであれば、私の呼吸から判断し、返事がなくてもことを進めただろう。
 しかし、これはこれでからかいがいがあって面白いから、今のところは注意せずにいる。
「ええ、聞いていますよ。そろそろ政務補佐の地位にも飽きたなと思っていたところです」
「はい?」
 わりと本気なのだが、ウルはキョトンとして首を傾げた。次に戸惑っている表情になり、最後には呆れ顔になる。
「また、わたくしをからかっていらっしゃるのですね」
「貴方をからかうのは大臣一人を陥れるよりも愉快なことですが、今のは本当ですよ」
「じょ、城中でそのような発言をするのは……。というか、そこと比較するのはどうなのですか」
 危ないのは発言した私だというのに、心配性なウルは一人慌てた様子で扉のほうを振り返る。
「心配しなくても、この周囲は暗部の者に守られていますよ」
「知っていますが、万が一ということがあるでしょう」
「おや、随分と用心深くなったのですね。かの豚……おっと、大臣に立ち向かっていった頃とは大違いだ」
 最近ルスから輸入した扇を広げ、口元を隠す。感心した目を作りつつ、扇の内側では唇を笑ませた。
 それを察したらしいウルが、まなじりをつりあげ、少し頬を膨らませる。
「そのくらい、わたくしも学習いたします。……ですからノール様、わたくしの護衛を減らしてください。もうかつてのわたくしほど無警戒ではありませんし、弱くもありません」
 ウルには私の補佐として重要な仕事を任せている。エスタとは違い、たまに幼さゆえの間違いを起こすが、おおむね順調に成長している。近い将来『狐の弟子』という異名がなくても、ウルは一人でやっていけるようになるだろう。ゆえに狙われている。
 その成長ぶりは、正直にいうと私の期待を超えていた。一時期はウルが挫折して絶望する様を見てみたいと思っていたが、いい意味で予想を裏切られた瞬間――私の中での評価が大きく変わった。
 ウルにはトーヤ様やスレンといった、かつての弟子たちと同じくらいの利用価値があるのかもしれない。……というのを本人が聞いたら眉をひそめるだろうが、私にとっては最高の賛辞だ。なにせこの世には、使えない駒が多すぎる。
 そんな日常に辟易していたところだったから、ウルという存在は私にとって新鮮な玩具……いや弟子だった。
 彼の成長ぶりを見たことで、教育して使える駒を増やしていくのは、存外面白いのだと気がついた。
 スレンは「お前についてこられる生徒は被虐を好むヤツだけだぞ」と言われたが、そもそも血を吐いてでもついてくる覚悟のない者は、国の中枢にいっても潰されるだけだ。
 そういった諸々の実感があって、先ほどの発言――「今の地位にも飽きた」に至る。つまり私は、また新しい舞台で自分の力を試してみたいのだ。いずれウルという後継者が育てば、私がここにしがみつく理由はない。
 私のそんな気持ちを少しもわかっていない様子で、ウルは言い募ってくる。
「お願いです。これ以上、わたくしのために傷つく方を見たくないのです」
「ええ、ええ。わかっていますよ。十年後くらいには考えておきますね」
「……ノール様は、ちっともわたくしを信用してくださらない」
「そう思います?」
「ではお伺いしますが、ノール様はどれほどわたくしを信用してくださっているのですか」
「はは、愚問ですね」
 私は誰も信用しない。この世で信じられるのは自分だけだ。しかしトーヤ様とスレンと、最近ではウルには……「裏切られてもいい」と思っている。恐らく他の者にとっては、信じるという行為に値する心境だろう。
 そう思ってはいるが、あえて口に出す必要性は感じられない。
 ゆえに真意を答えずにいると、柔らかそうな頬がいっそう膨らんだ。つつけば音を立ててしぼみそうだ。たぶん「愚問」という言葉を、悪い意味で受けとったのだろう。
「っ、午後の仕事が残っておりますゆえ、失礼いたします!」
「無理をしなくてもいいのですよ。机上の仕事も大事ですが、貴方には寝台の上での仕事もあるでしょう?」
「そっ、そそちらは……言われなくても、がんばっております!」
 また下手な嘘を、という前にウルは走り去っていった。怒りと羞恥心を表すように、少し大きな音を立てて扉が閉められる。

「さて、どうしたものでしょうね」
 扇を揺らして夜空を見あげる。
 今のウルの要望を聞き入れるのは、難しいのだ。彼にはまだまだ隙がありすぎる。
 どうかわそうかと考えていると、控えめな音を立てて扉が開かれた。
 ちらりと見やれば、やれやれといった調子で肩をすくめるセフ殿と、私の忠実な駒であるエスタがいた。
「このような夜更けに、どうされたのですか。セフ殿」
「いやね、政務補佐さまが俺の可愛い坊やをいじめてるって聞いたんで、もうちっと優しくできませんかってお願いに来たんですよ」
「おやおや、貴方がそんな無駄なお願いをしにくるなんて珍しい」
「真剣な話、これ以上坊やを精神的に追いつめないでくださいよ。あの子は強いが、繊細でもあるんです」
「知っていますよ。折れやすいが、雑草のようにたくましい。実にこの国の文官向きだ」
「そうですかね……」
「貴方もそう思いませんか、エスタ」
 ここで話が振られるとは思わなかったのだろう、エスタは珍しくぱちぱちと二回も瞬きをした。かつては「人形」と呼ばれていたエスタだが、ウルの影響なのか、最近は表情が増えてきたように思う。心なしか、顔の血色もいい。それに顎の線が、以前よりもふっくらしている気がする。
(あのお菓子の影響でしょうか)
 以前厨房の前を通りがかった時のことだ。ウルが難しい顔でぶつぶつと文句を言いながら、大量の菓子を作っていた。本人いわく、料理をすると心の負荷が軽くなるらしい。
 工夫で精神の均衡を保つとは、見上げたものだ。呟きの内容が私への文句だったというのは、この際目を瞑ってやってもいい。
 ちなみにその副産物である菓子や料理を食べているのが、エスタなのだ。だから以前よりも、健康的になったのだろう。
 面白い結果に内心で笑っていると、エスタは自身の中の言葉を噛みくだくように一度頷いてから、ゆっくりと答えた。
「怒りすら幸福に変えてしまえるウル殿は、人の上に立つ者として、向いていらっしゃると思います」
「なるほど」
 エスタの返答を聞き、いっそう期待に胸が膨らむ。
 ウルは私とは違った方法で国を変え、様々な場所に幸福の種を植えていくのだろう。
(けれど、順調すぎるのもつまらない)
 少しは障害があったほうが、人は成長するものだ。
 手の内の扇をたたみ、くるりと弄ぶ。そして流星が流れた頃、ぱしりと音を立てて握った。
「あの豚は残しておきましょう」
「よろしいのですか」
「彼がどう処理するのか楽しみなので」

 ――今日もまた、新たな賭けが始まった。



*********

『未来~答え~:ウル視点』著・松竹梅

 どう処理するのか楽しみなので。――などと十年以上前に言われていたとは露知らず、わたくしウルは悩んでいた。先日の石版の横に背を預け、はあぁと長い溜息をつく。

「どうされたのですか、ウル様。せっかく議会で勝利したというのに、浮かない顔ですね」
 秘書の一人に心配そうに問われ苦笑する。
 そう、本来ならば飛んで跳ねて喜んでいる時なのだ。本日成立した新法により、この国はまた一歩、女性が暮らしやすい国に近づいたのだから。
 ……けれど私の気持ちは完全には晴れない。あの厄介な方――ザムダ大臣が、会場から出る時に不穏な言葉を残したからだ。
(『夜道には気をつけたほうがいい』か。わたくしはどうなってもいいが、家族に被害が及ぶのは防がなければ……)
 ザムダ大臣を筆頭として、この国には未だ貴族至上主義の頭の固い者が残っている。陛下と共に改革を推し進めるわたくしは、そういった者たちから疎ましく思われている。そしてその恨みは、時折わたくしの家族にも向けられてしまう。
(ノール様が誰も娶ろうとなさらなかったのは、こういった理由もあったのかもしれないな)
 そのくせ、わたくしには「どんどん子を増やせ」などと言ってくる。これで当の本人は、今悠々自適かつ何の憂いもなく後進の育成にあたっているというのだから……、相変わらず勝手な方だと文句の一つも言ってやりたくなる。
 勝利したというのにしくしくと痛みだした胃を片手で押さえ、もう一方の手では石版をなぞった。
「はぁ。とりあえず、この石版を外しましょうか」
 壁にはめられたままでは文字を綺麗に刻めない。それに記念すべき初の大勝利の証なのだから、わたくしのこの手で外すところから行いたかった。
「では皆さん、せーの、でいきますよ。せー……の!」
 わたくしは気を持ちなおし、秘書たちと共に石版を外そうと……したのだけれど、重すぎてなかなか外れない。
 半刻ほど唸りながら格闘していたら、後ろからくつくつと笑う声が聞こえた。
「文官の手には余る仕事だろ」
 揶揄するように言いながら中庭に下りてきたのは、軍事司令官のスレン様だった。その斜め後ろには、副官となったナラン様の姿も見えた。
「……ええ、ご覧の通りですよ」
 今はわりと対等に接してくださっているけれど、たまにこうしてからかってくるから、スレン様には素直になれない。
「スレン様が手伝ってくださるのなら羽毛のごとく軽く持ちあげられるでしょう」
「羽毛は言い過ぎだが、俺とナランなら外せると思うぞ」
 なんてことないふうに言われ、複雑な心境になった。わたくしも昔よりはだいぶ力をつけたが、スレン様やナラン様には一生敵わないだろう。男子としては、軍部で活躍するお二人を、少し羨ましく思う時がある。
「……では、お願いします」
 何か言いたい気持ちを飲みこみ、軽く頭を下げる。
 本当はわたくしの手で外したかったが……ここで意地を張っても、無駄に時が過ぎるだけだろう。だったら速やかに諦めて任せたほうがいい。
 何事も見極めが肝心だというのは、師の有難い言葉の一つだ。
「じゃあ、ナラン。やるぞ」
「わかった」
 ナラン様はそう短く答えると、示しあわせていたように立ち位置を変えた。
 そして合図の一つもなく、お二人の体に同時に力が入る。ぐっと腕の筋肉が張りつめ、綺麗な筋ができる。まるで心の中で会話をしているように息がぴったりだ。
 束の間、お二人の肉体美に見惚れていたわたくしは、がこんと石版が外れる音で正気付いた。
「! すごい。軍神のお力を目の当たりにした気分です」
「嫌味か」
「純粋な称賛ですよ。ナラン様も、有難うございました」
「これくらい、なんてことありませんよ。気にしないでください」
 あんなに重い石版を外したというのに、ナラン様は汗ひとつかいていない。よいしょ、と石版を下ろすと、キラキラとした爽やかな笑みを浮かべた。
(ナラン様が第二の軍神と謳われる日も近いな)
 軍神の弟子はやはり軍神になるのかと、尊敬の眼差しで少し高い位置にあるナラン様のお顔を見あげた。
 そんなわたくしの視線を恥ずかしがるように、ナラン様は目を逸らした。そうかと思ったら、意外なものを見たというふうに両方の眉をあげる。
「どうされました?」
「あ、えっと……奥のほう、何か貼りついてませんか?」
「え?」
 ナラン様の視線の先を追い、石版がはまっていたくぼみを覗く。
 するとそこには、綺麗に封をされた手紙と思われるものがあった。
「なんでしょう、これ」
「……回りくどいヤツだ」
「どういう意味ですか? スレン様」
 謎の手紙の正体に首を傾げるわたくしとは違い、スレン様は何かに気がついている様子だった。苦笑気味に、けれどなんとなく懐かしそうにも見える顔で言った。
「ウル。これはお前が手にとったほうがいい」
「? は、はい」
 困惑したまま手紙を手にとり、恐いような気持ちで、そっと開く。
 広げられた紙の中央には、たった一文だけが書かれていた。

 ――「これが答えです」と。

「……本当に、回りくどい」
 スレン様の言葉に同意する声が、情けなくも震える。鼻の奥がツンとする。
 わたくしは手紙を抱きしめ、息をつめ、涙をこらえた。
(ノール様。十年前の答え、確かに受け取らせていただきました)
 筆跡だけで、誰が書いたのかわかった。
 これは恐らく、ノール様が最後のお仕事をした時に残していったものだろう。わたくしの幼い問いかけに、然るべき時に、答えてくださったのだ。――新法を刻む石版を、他でもないわたくしが外すと信じて。
(いや、あの方のことだから、信じるのとはまた違うのだろうな。信じる信じないではなく、確信して残してくださったのだ)
 嗚咽を飲みこみ、昨日と同じく遠くの空を見あげる。
 澄み渡った青空には雲一つなく、果てしなく続く明るい未来を思わせた。




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