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「大丈夫、話を聞いてくるだけの仕事だよ」
頭を撫でられ、不安で強ばっていた体中の筋肉が緩んだ。
自然と安堵の笑みが浮かぶ。
「そっか……」
自慢の兄貴分は、出会った頃からの変わらない優しさで接してくれる。
ディクスに入ったばかりの辛い時、前を向いていられたのは、ロウが手を引いて歩いてくれたおかげだ。
目を閉じて、撫でられる心地よさに浸る。
「……」
撫でる手が幾度か往復した頃、ふと強い視線を感じて顔を上げた。
そこには見憶えのない不思議な表情があって、何か嫌なことでもしてしまったかと
不安になる。
「ロウ?」
深くのぞき込もうと首を反らして、はたと気がつく。
以前よりも傾ける角度が大きい気がする。
こちらの身長は悲しいくらいに変わっていないから、つまりはロウの身長が伸びたのだろう。
一年と少ししか経っていないのに、やっぱり男の子は成長が早いなと感心する。
「……また明日な」
年寄りめいた感慨に耽っている内に、ロウは微笑んで踵を返した。
……なんだろう、今の声は。
明るいのに寂しそうというか、苦しそうというか、妙にひっかかる響きだ。
呼びかけようとして、けれど絶妙なタイミングで閉まった扉に遮られる。
「……何かあったんでしょうか」
首を傾げつつ、窓際のほうに戻る。
大きな執務机の向こう側では、少し難しい顔をした恋人が、足を組んだ格好で椅子に座していた。
「さあ、落ちてた肉でも食べて、腹を壊したんじゃないですか」
「そんなことばかり言ってるから、セラ……は陰険眼鏡って言われちゃうんですよ」
慣れない呼び捨てに、一瞬だけ躊躇する。
「二人きりの時は名前だけで呼びなさい」と命令されてから努力はしているのだけれど、度々間違えそうになるのだ。
「たしかにこれは、陰険かもしれませんね」
言いながら、セラは懐から何かを取り出した。
それを眺めるアイスブルーの瞳が、引き金を引く前のように細められる。
「……?」
ピンときて、少し身構える――これは絶対に、企んでいる時の顔だ。
意味深な表情を窺っていると、目線で「来い」と招かれた。
「なんですか、セラさ……セラ」
諾諾と従ってから、こんな風に言外の命令を察してしまえるようになった自分は、随分と慣れたものだなとおかしくなった。
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大きな机の横を回って、隣に立つ。するとおもむろに腰を引き寄せられ、バランスを崩してよろめいた。
「わっ!?」
勢いに抗えず、そのままセラの膝の上に腰を落とす。
驚いて立ち上がろうとしたら、腹の前に回された長い腕で固定されてしまった。
「もう……」
早々に諦め、小さな溜息を吐きながら後方に体を預けた。
背に感じるセラの胸は広く、逞しく、監査役である前にブレイドなのだと思い出させる。
「せめて予告してください」
毎度のことながら、セラの行動は突発的で先が読めない。
本人からすれば計算の末なのだろうが、凡人の私からすれば、どうしてこうなったと問いたい時が結構……いやもしかすると、いつもかもしれない。
「危機意識の足らない貴女を、鍛えてあげてるんですよ」
意味の分からないことを言いながら、うなじに唇を押し当てる。
くすぐったさに身を捩ると、セラは私の体を抱え直して、さらに深く抱き込んだ。
まるで「逃がさない」とでも言うように。
そうして先ほど取り出した箱の中身を一回軽く握り、その何かを私の指にはめた。
「? これって……」
唐突すぎて、目が点だった。
自分の薬指で光る、金の輪を凝視する。
誕生日には早すぎるし、聖夜はもっと遠い。
意味のない贈り物をする人ではないから、尚更奇妙だった。
「結婚指輪です。本当は明日渡すつもりでしたが……
まあ一日早まっただけの話です、支障はないでしょう」
「結婚? どうして結婚指輪を私に……」
「明日私達が結婚するからです」
「はあ、明日私達が結婚を……」
言われた内容を二度ほど復唱して、やっと思考回路が正常に戻る。
「い、今結婚って言いました?」
ぎょっとして、首が痛くなるほど後ろに反らす。
頭上を仰ぎ見れば、こちらの動揺などお構いなしの無表情があった。
「しかも明日!?」
「ええ、そう言いました」
「え、あの……もしかしてこれ、プロポーズとかですか?」
「いいえ、決定事項です」
「……」
色々とぶっ飛んでいる人だとは思っていた。
しかしまさか、プロポーズを飛ばして、明日の結婚式を『連絡事項』で伝えられるとは……。
動揺で頭をクラクラさせながらも、深い溜息を吐きたい心境だった。
「……だから予告してくださいと」
「今しているじゃありませんか」
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